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エブリオな人たち

エブリオな人たち Vol.15 日本映画大学 芦澤さん
Vol.15

日本映画大学 事務局 芦澤浩明さん

地域と共にあらんことを
~映像教育の普及へ~

序章~プロローグ~ 映画づくりは、農業と似ている?!

川崎市新百合ヶ丘にある2011年に開学した日本映画大学。
その歴史は、遥か1975年に遡る。横浜のスカイビルに、映画監督今村昌平が「既設のレールを走りたくない若者たち、常識の管理に甘んじたくない若者たちよ集まれ」というキャッチフレーズに、「横浜放送映画専門学院」を開校。
1986年川崎市麻生区に3年制の専門学校「日本映画学校」として新たなスタートを切り、大学となった現在まで、映像教育を続けて43年の歴史がある。

私が、この学校にやってきたのは1994年。やってきたと言っても、入学したのではなく、職員として雇用された。当時はまだ日本映画学校(専門学校)であった。新聞求人欄の小指程のスペースに小さく、「求!事務 日本映画学校」と掲載されていた。当時、私はニートであった。今でこそ、ニートという肩書が定着してきたが、それよりも前の話である。
就職面接を受ける為、私は川崎市にある日本映画学校に行った。当時、創立者であり、理事長であった今村昌平監督が応接室に座っていた。今村昌平は、カンヌ国際映画祭において1983年『楢山節考』、97年『うなぎ』でパルムドール(グランプリ)を受賞した日本で唯一の映画監督である。こどもの頃から洋画好きな私でさえ、偉大な監督であることは知っていたのだが、世間の肩書や名声など無頓着な若者であった私は、さして動揺はしなかった。
知らぬが仏ということわざがあるが、よくよく知らなくていいこともある。
今村監督は、座った私に向かって『君はいくら欲しいんだ?』と静かに口を開けた。実にシンプルな質問だが、私を試そうとしているのか?一瞬躊躇した。私は答えた。『生きていけるだけのお金を頂ければ結構です。』洒落なのか、試されたのか未だに不明である。
とりたてて取り柄もなく、高校時代は映画研究部に所属し、朝から晩まで映画館に通い、大学では社会学を専攻し、農村社会に残る『ムラ社会』を研究テーマとして自ら農村へ入り、体育会に所属し、暇さえあれば登山に明け暮れた。今から思うと山で身体と精神力を鍛えてきたことは、自分の生きる原動力になっていた。卒業後、農業技術・文化を普及出版する社団法人で勤務した。今村監督は、わたしの所属していた社団法人の出版物を愛読していたようで、しばらく日本の農業、農村社会についての問答をしたことを覚えている。
面接というより、農村ムラ社会についての討論のような話が中心になり、帰り路に面接でアピールできない自分の性格を責めた。しかしながら、採用となった。縁とは、不思議であり、おそろしいものであり、あれから25年余り経とうとしているのに、あの時の記憶は鮮明に覚えている。
日本映画学校ホームページ

肩書は事務であったが、事務仕事だけではなかった。あるとき、多摩川で授業があるから来いと云われた。行ってみると川からポンプで水をくみ上げ、消防用のホースで雨を降らせて撮影をしていた。大勢の学生の中、映画監督である先生が怒鳴り声をあげていた。真剣そのものである。いわゆる「雨ふらし」という撮影手法を用いたれっきとした授業だった。
私は、エンジンポンプの運転を任された。直前に、特機という映画で使用するクレーンなどを扱う特殊機材を扱う会社で研修を受けろと云われ、行くと日焼けしたガテン系の男にあった。発電機の使用経験や車のボンネット開けたことあるか?とか点火プラグを知ってるかとか?と質問を受けた。学生時代の建設現場アルバイト経験が役に立った。研修など名ばかりで、早口で器材の説明を受け、車に積み込んだ。とにかく毎日必死だったが、愉快で仕方がなかった。当時1990年代の多摩川は、今でこそ鮎が登ってくるほど綺麗な河川になっているが、決してきれいとは云えず、ドブのような匂いがする川だった。エンジンをかけてしばらくすると、先生が学生に怒鳴っている。スタンドインをしようとしていた。(※スタンドインとは、撮影に入る前に、助監督が芝居場所の確認で現場に俳優の代理として立ち、位置を確認すること。)
経験もない素人学生に映画監督である先生の指示は、明確には受け止められないらしく、現場から離れた場所にエンジンを置き、立っているわたしに大きな怒鳴り声が聞こえた。『おい、スタンドインだ、早く行け!』自分だと気づき、訳が分からず、現場に走る。スタンドインの意味など知らない人間は、ドブくさい川の雨を身体で受け止める。雨粒を確認する為に、空を見上げる。当然、この水を嫌でも飲まされるのである。後でニュースで話題になったO157で報道される前の話である。この授業を受けるものは、100名以上。1週間これが続いた。1週間腹をこわし、体がくさかった。
気がつけば、現場での実地研修を受けとめたノートは、ビショ濡れだった。今でも宝物のように大事にしている。写真(左最下段)は当時のわたしである。20数年前の話である。この時、映画づくりは農業と同じだと感じた。違うのは、そこに芸術があるかないかぐらいのこと。

かくして、わたしの日本映画学校(現:日本映画大学)と運命を共にする人生が始まった。現在、映画・TV業界で活躍中の卒業生は、「雨ふらし」を忘れない思い出となっているだろう。当時の学生は年齢、出身、キャリアが様々であり、映画づくりというものに惹きつけられてきた人々だった。彼らと共にとても濃密な時間を共有し、ものづくりに携わる人のそばで、わたしは生きてきた。毎日のように様々な事が起ったが、愉快で仕方がなかった。
私がやってくる少し前まで、最早伝説となった「農村実習」という学校の名物授業を行っていた。これは、入学後すぐに、全員で福島県の農家に寄宿し田植え作業をしながら協働作業を学ぶという驚愕な課外型授業である。映画づくりが、農業に通じていることは今村監督自身も感じていたのかもしれない。私は農村実習の体現者ではないが、農業は単に職業という側面ではなく、自然と対峙し天候を読み、土を握りしめ食物を育てていく営みは、「生き方」であり、映画づくりに携わるものも生業ということとは別にこの「生き方」の部分が似ているのか知れない。
2016年、大学3期生の卒業映画制作で雨をふらせてほしいと相談があった。思わず、ニヤッとしながら、学生達の制作する映画の協力者となった。大学になった今も、この雨を降らせる舞台をつくる上で、協力者としての出番が回ってきて正直、ワクワクドキドキした。
日本映画大学ホームページ

古くは農村で田植え協働作業の中から農という生き方を体現したり、多摩川で雨を降らせて撮影してみたり、興味をもった人間に相対し、取材しその生き様を探求していく「人間研究」という授業が存在した。これが3年間続くのである。とにかく既存の教育機関では学ぶことのできない奇妙で不思議で捉えようがなかった。言葉では到底表現が見つからない学校は、多方面で活躍する卒業生を輩出してきた。
現在、大学新百合ヶ丘キャンパス玄関前に、創始者 今村昌平の理念が輝きを放っている。卒業していくものは、皆この意味を噛み締めて社会へ旅立っていく。

~理念~

日本映画学校は、人間の尊厳、公平、自由と個性を尊重する。
個々の人間に相対し、人間とはかくも汚濁にまみれているものか、
人間とはかくもピュアなるものか、何とうさんくさいものか、何と助平なものか、
何と優しいものか、何と弱々しいものか、人間とは何と滑稽なものなのかを、真剣に問い、総じて人間とは何と面白いものかを知って欲しい。そしてこれを問う己は一体何なのかと反問して欲しい。
個々の人間観察をなし遂げる為にこの学校はある。
学校法人 神奈川映像学園・日本映画学校 創始者 今村昌平
日本映画大学 建学の理念と精神

エピソードⅠ
卒業製作作品(学生映画)と劇場公開

学校の集大成である卒業制作は、1975年開校以来、制作してきたが徐々に作品が内外で評判になり、外部での公開が始める。最初のお披露目は、町田の今は無き映画館。当時はシネコンなどなく、映画館を貸し切るほどのお金もなく、夜更けの一般映画が終映後に細々とスタートした。それから、しばらくして『青~chong~』という学生映画にして名作が誕生する。監督脚本は、後に劇場映画監督として知られる李相日であった。
李監督といえば、2006年『フラガール』を監督し、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞および文化庁芸術選奨新人賞を受賞するなど、この年の賞を総なめにした。その後、『悪人』(妻夫木聡主演)、『許されざる者』、『怒り』(渡辺謙主演)と日本映画界を代表する監督となった。彼の処女作である作品『青~chong~』は、映画学校在学中に制作された。ぴあフイルムフェスティバルを始め、海外からも絶賛された。正に快挙であった。彼らの活躍が卒業制作の躍進を後押しした。当時に公開用に制作された作品群は、10作品以上を数えた。
李監督『青~chong~』卒業制作作品が外部ではじめて上映したのは、当時商業映画の試写会等を行っていた新橋にある徳間ホール(現スペースFS汐留)であった。今は、汐留という地名が一般的となったが、当時は新橋であり、新都市交通ゆりかもめの開業前。ホールロビーから広大な空き地にブルドーザーが1台ポツンと置き去りにされた風景を見つめていたことを覚えている。今は、シオサイトというオフイス商業ビル群、日本テレビ本社社屋になっている。

学生の制作した映画は、ビデオ作品で制作されたものもあったが16mmフイルムで制作した作品が多く、町田の場末の映画館からスタートした外部への映画公開は、旧富士フイルム本社ホール、新宿ジョイシネマ(旧コマ劇エリア)、FMホール(FM東京本社)という16mm映写機が常設された館で開催した。当時の商業映画上映作品はほぼ35mmプリントであった為、16㎜映写機がある館でも映写技師はおらず、わたしが全て映写技師をしてきた。映写機の使い方もほぼ独学で覚えてきた。わからない事があれば、映画館の映写技師さんを尋ねて勉強した。ニューシネマパラダイスであった。
当時、映写技師さんに教えて頂いたノウハウやテクニック、よもやま話がノートにびっしりと綴られ今は宝物だ。現在は、シネコン全盛時代を迎え、デジタル化した作品を自動でデータプログラム上映するようになり、映画館から映写技師が消えた。昔は、どこの映画館にも映写技師がいた。毎日、映写室にこもり孤独で気難しいという印象だったが、話し出すと止まらない。
一日中、穴の中でたった独りで、黙々と仕事をしている背中は、私の中でヒーローであった。過去にとてもお世話になった映写技師さんがいて、公開前の作品試写する機会があり、こっそりと広い映画館でたった一人で見せて頂いた。今から思えば、贅沢で至福の一時であった。

2016年宮沢りえ主演で話題を集めた『湯を沸かすほどの熱い愛』監督脚本の中野量太監督は、『青~chong~』の翌年に卒業制作で『バンザイ人生まっ赤っ赤。』を監督。今でも彼は、この作品が自身の原点であるという。わたしも、作品制作中に消防ホースで放水するシーンがあるが、経験したこと生かし、彼の映画に協力している。多忙な日々を送る中野監督に久しぶりに連絡を取った時に、当時の制作を昨日のことのように覚えていたことに互いに喜び合った。そして何よりも、映画づくりの生き方を貫いてきた彼に共感した。

日本映画大学が開学して7年の月日が流れた。現在、卒業映画制作はデジタル化し、イオンシネマで劇場公開をしている。
開学後、4回目となる卒業制作上映会はイオンシネマ新百合ヶ丘の看板スクリーン(451席)で開催する。
(2月11日イオンシネマシネマ新百合ヶ丘/無料・申込不要)
日本映画大学卒業制作上映会公式ホームページ

『ハッピーサッド』映画予告編

『牛の後ろ』映画予告編

『ばちあたり』映画予告編

『山河の子』映画予告編

『ハッピーサッド』撮影メイキング

『牛の後ろ』撮影メイキング

エピソードⅡ
教育活動の普及と地域貢献

産学官一体型地域連携教育事業「こども映画大学」
大学開学後は、地域と連携し映像教育活動の普及と共に、開かれた大学を目指しています。今年で7年目を迎える「こども映画大学」を紹介します。
これは、地元の小学生と大学生が、シナリオづくりから撮影、編集、完成まで協働して作品制作を行う事業で、現在では、大学と川崎市麻生区役所、イオンシネマの三者共催で産官学の一体となった地域連携共催事業となり地域市民に映像教育の啓蒙活動を行っています。一昨年より、完成した映画を共催者であるイオンシネマ新百合ヶ丘の劇場で上映し、地域市民に大変好評を得ています。
こども映画大学公式ホームページ

アーカイブ映像上映イベント「今は昔の物語-映像でめぐる麻生のくらし-」
昨年、「映像のまち・かわさき」推進フォーラムと大学が連携し、あさお区民まつり実行委員会と共催した「今は昔の物語」-映像でめぐる麻生のくらし-上映イベントを開催しました。昨年、川崎市は人口150万人を突破しました。
現在、川崎市は「川崎市映像アーカイブ」事業に取り組んでいます。過去の歴史的貴重な映像を市民の共有財産へというスローガンの基に市民からも映像提供を呼び掛けています。この市政である川崎市が所蔵する映像を麻生区が市内7区の先駆けとなり、上映啓蒙活動として、区民まつりのプレイベントとして麻生区内にある大学キャンパスで開催しました。
来場者は述べ200名を超え大変な反響がありました。上映後も反響が相次ぎました。先日、川崎市麻生区地域包括支援センターより、地域の高齢者向けに地区公民館で上映会を開催。上映中に、思わず声に出し、涙を流し、感慨深げにご覧頂く様子を目の当たりにした時、自分が生き抜いてきた時代が映像を通じて甦ることは、少子高齢化を迎えた現代において、また世代をつないでいく事の重要性を強く感じると共に、改めて映像も持つ力を見せつけられました。
映像アーカイブとは、単に保存整理し倉庫にしまうことにあらず、人の心に届け、振り返り、未来を考えていく上で、今後、我々の将来に有益なものになるような使命感を持っています。
今後も、大会場での上映会のみならず、小さな公民館クラスの場所でも、スクリーンと映写設備を持って、市民への上映啓蒙活動を進めるべく計画中です。
日本映画大学地域連携特設サイトページ

卒業映画作品『ひいくんのあるく町』の展開

大学開学後、都内の商業映画館ではじめて劇場公開された『ひいくんのあるく町』を紹介します。
この作品は、日本映画大学卒業制作作品として製作されたドキュメンタリー映画作品。
舞台は、監督である青柳拓の出身地である山梨県西八代郡市川三郷町。知的障害者で町の人気者『ひいくん』。
人通りの少なくなった商店街を毎日歩き回る彼に密着し、町民たちとの交流の中から「ふるさと」のこれからを見つめ、少子高齢化を迎えた時代に地域社会の「本当の豊かさ」とは何かを問う。
作品は、2017年2月にイオンシネマ新百合ヶ丘でお披露目上映後に、同年4月、作品の舞台となった山梨県西八代郡市川三郷町にて町役場協力を得て、上映会を開催。2回の上映で延べ1000人以上を動員。更に8月に都内の劇場公開が始まり、現在でも地方を中心に公開しており、社会福祉法人からも上映依頼が続いております。
昨年、(公社)映像文化製作者連盟が主催する「映文連アワード2017」において、作品は準グランプリを受賞する快挙を成し遂げるなど、学生映画というジャンルを超えたとプロからも高い評価を受けてきました。

『ひいくんのあるく町』予告編

『ひいくんのあるく町』作品HP 『ひいくんのあるく町』に関するお問合せ先
koukai@eiga.ac.jp 日本映画大学事務局担当芦澤

卒業映画作品『沢のぼり』地域連携・総合学習プログラム参加

2017年にイオンシネマ新百合ヶ丘にて劇場公開した卒業製作作品『沢のぼり』は、映画の舞台となった神奈川県秦野市にて昨年夏開催された「秦野名水フェスティバル」(秦野市文化会館)にて上映されました。昨年12月には、秦野市教育委員会より依頼を受け、市が推進するキャリア教育の充実化を図る為、市内中学校の中学生150名を対象にした総合学習授業において、作品上映と講演会を実施しました。今後も大学は、教育活動の普及及び啓蒙活動を推進していきます。

『沢のぼり』映画予告篇

『沢のぼり』撮影メイキング

『沢のぼり』作品ホームページ
『沢のぼり』に関するお問合せ先
koukai@eiga.ac.jp 日本映画大学事務局担当芦澤

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