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1978年から2009年にわたり日本ビクター(株)主催で開催された「東京ビデオフェスティバル」の情報です。

各審査員講評

TVF30周年は、「コミュニケーション」の、温故知新の“歴史遺産”である。(大林宣彦先生)

 30年の昔、TVFの幕開きは中学生の作品から。当時こういう公の場で子供が作った映像作品が堂堂と上映される事など有り得なかった時代に、である。しかもその第1回ではまだ無名に近かったとはいえ、今はもう50代となり日本映画界のリーダー的存在である映画監督たちが多数、青春の意気盛んな作品を応募してその悉くが落選している。テレヴィ界のヴェテランの作品も忽ち姿を消し、即ちTVFはその頭初から「映画」や「テレヴィ」から遠く離れ、これから始まろうとする「市民による発言・映像表現」に目を向けようと自覚していた事がよく分かるのです。それからの20年間は、老人や女性、子供たちの個人的な表現世界がTVFの総体を成す。それは一見「アマチュアコンテスト」の様相であるが、TVFはこれを、これまで"声無き声"であった庶民による「市民ジャーナリズム」の誕生と位置付けて出発した。

 その意志こそがTVF独自の歴史を刻み、同時期に生まれた他の多くの「アマチュアビデオコンテスト」がバブル崩壊と共に呆気なく消え失せていく中を、TVFのみがいわば"必死"の面持ちで命運を保ち続けて来得たのは、この「市民ビデオフェスティバル」は世界のジャーナリズムを正常に保ち得るための"文化"でこそあるという認識からであっただろう。例えば明日のテレヴィが一日中TVFの作品群を放映している様子を想えば、それは如何に穏やかで平和を願う「コミュニケーション」の世となるであろうか、とわくわく胸踊って来るではありませんか!ぼくらの未来は、そういう時代の実現をこそ目差さねば!

 そして此処10年の映像機器デジタル化の激変を受けてTVFに青年たちがわっと押し寄せて来た。彼らがぼくらの「未来を創る」のだ。そしてそれまでの20年を支えて来た「8ミリフィルムから繋がるアマチュア軍団」は今や80代の「聡明な市民」として此処にある。

 TVFは「コミュニケーション」、「ジャーナリズム」の「温故知新の器」となった。その貴重な「歴史遺産」を無駄にしてはならない、未来に生かさねば、と思うのです。


TVFは疲弊した社会の泉になり得るか(小林はくどう先生)

 TVFが現在まで続いたのには日本ビクター、事務局スタッフの頑張りが挙げられる。地球上から今回も54の国と地域から集まったが、日本ビクターのネットワークがあればこそである。映像産業のメセナ活動として歴史に残るものであろう。

 TVFで毎回語られてきたことは映画やテレビとは違う、市民のやりとりの中から表現される「ビデオコミュニケーション」である。別な言い方をすれば「市民ビデオ」「ブラウン管民主主義」。テレビ受像機のブラウン管にはどんな画像でも対等に再現される。故にプロ、アマの国境もジャンル、年齢の区別も要らない。地球市民の全くボーダレスなフェスティバルなのだ。

 幸いなことにVHS、DV,DVDなどの普及とともに、ビデオカメラが日常化し、次第に地球規模で参加国が増えた。そして他では見ることのできない地球上の市民の「今」を見ることができた。80年代のベトナムの解放、東欧・ソ連のビデオアート、90年前後のベルリンの壁崩壊、アマゾンのインディオビデオ誕生などを見つつ、審査というのは自分が社会へ伝える現代の生き証人なのだと自覚している。

 昨年6月にTVFシンポジウムを催した際、秋葉原通り魔事件が話題になった。容疑者はサイトの掲示板に膨大な書き込みをしているうちに次第に孤立感を深め、殺人を予告するような書き込みを行ったという。この容疑者には不幸なことにコミュニティがなかったようだ。

 コミュニティは市民であるという日常の生きがいの自覚である。TVFも元気がでるメディア・コミュニティなのだ。今までTVF作品を見て、感動し、自分も生きがいを見出したというエピソードは多い。民族戦争や世界不況の嵐はいつまで続くのだろうか。疲弊した社会に元気を与える泉が市民ビデオなのだ。

 今回、例えばハンディを背負った少女を追いかけた『Melanie』『クラリネットポルカ』、闘病生活から生還した『自毛デビュー』肉親を介護する『共に行く道』『父との遠くて近い距離』などをじっくり見てほしい。決して明るくはないが、生きる喜びと苦悩を噛み締めていただけるであろう。また有機農法『本来の稲作』『蚕道を極める』、老女の里帰り『遥かなる故郷』も幸せ感溢れる作品である。


大切に守り続けたいもの(佐藤博昭先生)

 最終審査会までの4日間は、完全に部屋に閉じこもって作品を見ていた。そして「この作品を誰かともう一度見たいか?」と、自分に問い続けた。この態度は毎年変えていない。作者の体験を他の誰かと「共有」することが、とても大切だと思っているからだ。作品制作の現場にあった作者の思いや、撮影をされる側との関係は常に尊いはずだ。その尊さに対する敬意を、見る者は忘れずにいたいと思う。携帯やPCなどの多くのパーソナルメディアが、利便性と引き替えに人に対する敬意を失わせている。TVFによって繋がってきたのは、それらの対極にある美しさと豊かさだったと信じている。

 今回の作品を見終えて、特に印象的だった作品がある。フィリピンのキドラット・タヒミックによる『我が子を撮り続けて20年-ビデオサラダ 3人の息子+1』である。タヒミックはインディペンデント映像作家の親分みたいな人で、TVFの受賞歴もある。部屋にある大きな木箱の中には、あふれんばかりの8ミリフィルム、16ミリフィルム、3/4インチカセットやVHS-Cなど、彼がこれまでに撮影したさまざまなフォーマットの映像がある。彼はフィルムをスパゲッティーと呼んでいたが、そのごちゃ混ぜ具合が凄い。これらの映像は彼の劇映画の断片や、息子たちと一緒に彼自身が出会ったさまざまな国の人達である。日本の映像もある。既にノイズだらけで見ることが難しいものもある。息子はPCの使い手で、父親の編集をサポートしている。この膨大な映像の集積から作られた家族の肖像はそのまま個人映像の歴史でもある。そしておそらく、彼の作業は終わらない。どんな形であれ、映像を制作する道具があるならば、彼はそれを持ち続け、誰かに向けることだろう。ビデオの歴史もまた、そうして繋ぎ合わせられてきた人とのコミュニケーションなのだ。その力強い継続の意志に敬意を表したい。

 紙面に限りがあるため他の作品に触れられないのだが、例年以上に多くの「敬意」を抱かせてくれた作者の皆さんに感謝いたします。


上手な作品ばかり(椎名誠先生)

 数えてみると選考委員になってもう十数年になります。そして当初から比べるとどの作品もすさまじくうまくなっているのに驚くのです。

 ドキュメンタリーにしてもドラマにしても、みんなツボをおさえているというか、作品づくりのセオリーをきちんとふまえ、なおかつ個性のある傑作がたくさんありました。

 応募者の年齢層の幅が広がるとともに若い人の作品群が潮のように最終候補作100本の中におしよせてきて、世界中の「いま」をこのようなプライベートの映像でたのしめる喜びをあらためてつよく感じました。

 個々の作品づくりのモチベーションも勿論のこと、それぞれに製作者の意図するものがきっちり描かれているのも驚きでした。

 全体の傾向も、少し前の紋切り型のカチットしたジャンル分けから離れて、かなり柔軟に追うべきテーマに迫っている作品も沢山あり、それが全体の作品の平均的なレベルアップにつながっていたように思いました。

 日本の作品と外国の作品を比べると、製作方法の構造が基本的に異なっていて、簡単にいうと、日本のものは個人が製作している作品が多く、海外はプロダクションや組織委員会のようなところで作っているものが多いようでした。これはプロとアマということではなく、映像作品を作る、という姿勢の問題ではないかと推察したのですが。

 個人のきわめて家庭的な作品であろうが、組織の作品であろうが、見る人をその作品世界にどれだけとりこめるか、というのが、究極的には、この種のコンテストのキーワードになるわけですから、そういう意味でもそれらが渾然一体となった中で覇を競う、ということに「ときめき」を感じました。

 さらにどの作品も技術的に大変うまくなっている、ということをこれは五、六年前から衝撃的に感じていたことです。ハードとソフトの密接時代がきたといいましょうか。


作者・対象・見る者の三角関係(高畑 勳先生)

 中年以上の女性たちが記録映像の秀作をいくつも生みだしていることに嬉しい驚きを感じ、今更ながら、現代を生きる女性の活力と、それを支えるヴィデオ撮影・編集機器の進化を思った。

 撮り続けた身近な家族の映像を編集し、来し方を振り返りつつ作者の「思い」をナレーションに込める、というのは、ホームヴィデオの原点だが、そういう作品でも、捉えられた映像や対象そのものに強い力や意味がある場合、しばしば、言葉で語られる「思い」を超えて、あるいはときにそれを裏切って、映像の方が直接こちらに語りかけてくる。作者の意図や思いと映像の主観性客観性の度合いが微妙にズレて拮抗すると、見る者は、作者の「思い」だけに流されず、そこに提出された映像に直接向き合い、自分の考えをめぐらせたり、自分の感慨を抱くゆとりを与えられる。さらに、対象と作者の親密度を量ったりそれに感心したり、作者に対して信頼感や疑惑・批判を芽生えさせたり。

 こういう、いわば、作者・対象・見る者の三角関係を体験することこそ、映像をしっかりと見る醍醐味であり、映像が「滋養」と感じられる瞬間である。今回もそんな体験を何度もさせてもらった。夫との距離の取り方が絶妙で、作者自身も主人公たりえた『共に行く道』をはじめ、『メラニー』『セクション60』『自毛デビュー』『タガメ』『本来の稲作』『蚕道を極める』『コカイス』『遙かなる故郷』『クラリネットポルカ』『雲雀』『父との遠くて近い道』『トラフィックト・チルドレン』『考えて〜そして忘れないで』『平和の肖像』、そして『心の鍵』『変化』『赤い紙船』など。

 海外は今回も専門家またはその予備軍によるドラマやファンタジーの秀作が多く、感心した。『身代わりの子ヤギ』など、佳作にも面白いものがあった。アニメーション作品は少なかったが、その技法を取り入れたものには、『建設中』『記憶全景』といった驚くべき達成が見られた。


新文化誕生(羽仁 進先生)

 今年の審査は、とても楽しかった。

 『メラニー』『自毛デビュー』『共に行く道』には、全面的に感服した。自分のおもいが、表現と見事に溶けあって素晴らしい。

 ところが、その後にみごとな作品が続くのが、今年の特色である。『コカイス』『記憶全景』…。『雲雀』は小鳥と人間のそれぞれの生きざまが交叉する点をつかんだことが嬉しかった。『私の大家族』は、二十一世紀において、もう一度家族を考え直さざるを得ないという実情を面白く提示していた。いつもは、三十本の優秀作品の半分ぐらいは、表現が不充分だと思って来たが、今年ははじめて三十本では足りないと感じた。大分昔であるが、先輩の荻昌弘審査員から「羽仁君は荒野に叫ぶ予言者だ。君の推す作品に、せめて十分の一、君の言っていることが実現していたら、私だってグラン・プリに推すよ」と言われたことがあった。荻さんが亡くなられた後には、河田茂さんという天才的な人物が現れて、TVFは様変りした。しかし、未だその時には、孤立した作品に素晴らしさは限られていた。それが、今年は全く違う。新しい文化の誕生と言えるような事だと、私は思った。

 『高校生は乗車を妨げたのか』『12.7%』などの高校生の作品にも、それは明らかだ。自分達のまわりで思った事を、いかにも彼等らしいスタイルで描いていながら、彼等とは違う部分のある社会のことも、キチンと視野に入っている。『12.7%』が、先生達の中にも、憲法がどのようにして人間の社会にひろまったか、を御存知ない方がかなり居られることを指摘したくだりにも、それを感じた。

 自分の内部を、深くみつめる。そこから出発しているビデオは、増えてきた。しかし、その現象が他の人々にはどんな風に見えているのか。そこまで見る心の広さは、最近の文学、ジャーナリズムにあまり感じられない、それがビデオの中で誕生して来ているのだ!


個人ジャーナリズムの完全開花(北見 雅則)

 ビデオ時代の草創期を築いた先輩達は想像していたのだろうか、今年のTVFを。

 多くのジャンルで心に残る作品が多かった。

 まさに個人ジャーナリズムは、完全に開花したと言えるのではないか。身の回りに起こる様々なテーマの本質を個人の目で推理・洞察・組み立てする、そうしたリテラシーが市民のものになったと言っても過言ではない。

 『共に行く道』は現在深刻化する「老老介護」をコミカルに、しかしそこにある「危機」を丁寧に見せてくれる。旦那さまの病状を気遣う奥さまの「本音」とこれからのことをさりげない言葉で綴るナレーションは傑作であった。

 『メラニー‐自分の道を行く』は盲目の少女の健気という言葉では足りない清々しさと周囲の障害者との『成熟した社会の距離感』を見せてくれた。

 『タガメ−飼育と観察を通して』は中学生の丁寧な作品作りはタガメ生態を多くの人に伝える事のみならず、ビデオの可能性を改めて伝えてくれるものだった。

 千本を越える作品を送ってくれた中国の人々に対する感謝を伝えたい。作品の中に見ることの出来る現代中国の世相、生活、気持ちが伝わってくる優れた作品が多かった。

 『虹橋横丁のオリンピック』は惜しくも優秀作品賞入賞は果たせなかったが、オリンピック開催を迎えた中国の庶民の心を映し出す好感の持てる作品。『赤い紙船』は出稼ぎに行った両親を待つ子供達を描いた。どちらも日本或いは世界の原風景とも言える作品。心に残った。

 病気と戦う人を描いた『自毛デビュー』『とことん元気で』には勇気と元気をもらうことができた。

 珠玉の作品群、31回目を数えて累計五万二千本を越えた。

 今年は20才代以下の作品が7割を超え増々そのバラエティを増してきた。「個人から発信するジャーナリズム」が今まで以上に加速する。そんな予感を持って審査を終えることができた。

 改めて、TVFを支えて来てくれた応募者の皆さんとビデオ業界関係者の皆様に感謝したい。


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