Vol.1 富士みち編 (山梨)
江戸時代に隆盛を極めた富士信仰の道「富士みち」を辿る旅。
旅の出発点・東京日本橋から山梨県大月市、
そして御師の町・富士吉田を経て、いざ富士山へ。
富士を崇め、富士を拝み、富士を目指して歩く旅に出かけます。
photography: Yasuyuki Takagi
text: Ryoko Kuraishi
富士講とは、江戸時代に広まった庶民による富士山信仰のこと。
戦国時代末、長谷川角行という行者が富士山を信仰の対象とする教えを説いたが、
江戸時代に入ってこれが爆発的に広まる。
庶民は「講」と呼ばれるグループを組むことで誰もが富士山を目指せるようになった。
これが「富士講」の始まりである。
登拝する人々にとって江戸から富士山への道のりは一世一代の巡礼の旅だった。
登拝に先駆け、浅間神社や禊場といった霊場にも多くの道者が集まるようになる。
また、麓の街には登拝者を世話する御師たちによる「御師まち」も築かれた。
こうして一帯は富士山信仰の一大聖地として知られるようになった。
吉田から富士山の霊場を巡る今回の旅は、
かつての信仰の道を忠実になぞったものである。
太く、コシの強い「吉田のうどん」は、地域に根ざした郷土食。
冷涼な気候と火山灰土は稲作に適さなかったため、
吉田では古くから雑穀の栽培が行われてきた。
中でも小麦粉を使ったうどんは、
祝い事やお祭りなど「ハレの日」の食材として尊ばれてきたとか。
明治時代になると、富士登拝者のために一般の家庭が自宅を開放し、
うどんを振る舞うようになる。
それが好評を博して吉田にはうどん店が軒を連ねるようになり、
うどんはご当地食として知られるようになった。
トッピングのキャベツと、「すりだね」と呼ばれる辛味も特徴だ。
富士道者が登拝する前に立ち寄るのが北口本宮冨士浅間神社。
もともと浅間神社のある諏訪ノ森には、
日本武尊(ヤマトタケル)が遥拝したとされる大塚丘(おおつかやま)が置かれていたが、
781年の大噴火を受けて現在の場所に浅間大神を移したのが788年のこと。
道者たちはまずここをお参りし、旅の安全を祈願したという。
富士山への登山道もここの登山門が起点となっている。






