Vol.3 中山道木曽路編 (岐阜・長野)
江戸から京を結ぶ中山道の一区間、山間の宿場を繋ぐ木曽路を歩きます。
石畳の道、宿場の町並み、峠の茶屋...江戸の旅人気分で歩く秋の木曽路へ。
江戸時代初期に五街道の一つとして整備され、江戸と京都を結んだ中山道。
その中でも信濃国木曽を通る、新茶屋(岐阜県中津川市)から
桜沢(長野県塩尻市)に至るルートを木曽路と呼ぶ。
木曽川沿いの険しい峠や深い谷、山底に設けられた木曽路越えは困難なものだったが、
東海道につきものの川越えの不便がなかったことから、参勤交代のほか、
徳川家に献上する宇治茶を運ぶお茶壺道中や、大名・皇族の輿入れに利用された。
木曽路には馬籠宿、妻籠宿、奈良井宿など11の宿場が設けられ、
千本格子が連なる宿場町の風情をいまに伝える。
また、道中には石畳の峠道や浦島太郎の伝説が残る奇岩の風景、
歴史ある寺社仏閣など多くの見所が待ち受けている。
栗きんとん発祥の地といわれる中津川。
周辺は山栗の産地であり、新鮮な山栗を使った料理やお菓子で木曽路を行き交う旅人をもてなした。
十返舎一九が「栗のこはめしここの名物」と詠んだように、
栗の炊き込みご飯「栗こわめし」は江戸時代にはすでに名物だったし、
蒸した栗に砂糖を加えて炊き上げる栗きんとんは、舌の肥えた文人によって庶民に広まったという。
現在は街道沿いに連なる和菓子屋で趣向を凝らした栗菓子を味わえる。
宿場とは、大名の参勤交代をスムーズに行うため、
徳川家康によって整備された街道の拠点のこと。
隣の宿場から運ばれた公用の荷物や通信物を次の宿場まで運ぶという使命を担っていた。
大名が宿泊・休憩するための本陣、脇本陣に加え、
一般の旅人も利用できる宿泊施設が整うと、宿場町として賑わうようになる。
街道を鉤の手状に折り曲げた「枡形」の造りや千本格子を備えた古い民家など、
宿場町の風情は江戸時代の面影を留めている。